vol.10

スポーツ文化評論家 玉木 正之(たまき まさゆき)

プロフィール

1952年京都市生。東京大学教養学部中退。在籍中よりスポーツ、音楽、演劇、 映画に関する評論執筆活動を開始。小説も発表。『京都祇園遁走曲』はNHKでドラマ化。静岡文化芸術大学、石巻専修大学、日本福祉大学で客員教授、神奈川大学、立教大学大学院、筑波大学大学院で非常勤講師を務める。主著は『スポーツとは何か』『ベートーヴェンの交響曲』『マーラーの交響曲』(講談社現代新書)『彼らの奇蹟-傑作スポーツ・アンソロジー』『9回裏2死満塁-素晴らしき日本野球』(新潮文庫)など。2018年9月に最新刊R・ホワイティング著『ふたつのオリンピック』(KADOKAWA)を翻訳出版。TBS『ひるおび!』テレビ朝日『ワイドスクランブル』BSフジ『プライム・ニュース』フジテレビ『グッディ!』NHK『ニュース深読み』など数多くのテレビ・ラジオの番組でコメンテイターも務めるほか、毎週月曜午後5-6時ネットTV『ニューズ・オプエド』のMCを務める。2020年2月末に最新刊『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂)を出版。
公式ホームページは『Camerata de Tamaki(カメラータ・ディ・タマキ)

新型コロナウィルスCOVID19の蔓延に対して、
東京オリンピック・パラリンピックは、どう対処するのか?
そこには、数ヶ月の延期も大会の中止も許されない
「おカネの事情」が存在しているのだ!

この原稿を書いているのは2020年3月上旬。日本における新型コロナ・ウィルス(COVID19)の感染拡大に対して、最大の注意喚起が行われている時期だ。

安倍首相が全国の小中高校に対して、春休みが終わるまでの臨時休校を要望。文化イベント、スポーツ・イベントの中止、延期、縮小も要請された。その結果、それ以前から縮小を決めていた東京マラソンは一般参加者3万8千人のレースを中止。沿道での観戦も自粛してテレビ観戦が奨められた(その結果、例年100万人の観客が沿道に集まるが、今年は10万人以下に留まった)。

またプロ野球オープン戦の全試合と大相撲大阪場所などは無観客試合。サッカーJリーグやラグビートップ・リーグの試合なども延期。世界各地で開催予定だったオリンピックやパラリンピックの予選大会なども、多くの大会が中止や延期に追い込まれた。

そんな状態が、いつ頃「正常」に戻るのか? この原稿を書いている時点では、まったく予断を許さない。そこで心配になるのが7月24日に開会式を迎える東京オリンピック・パラリンピック。はたして「正常」に開催できるのか……。

IOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長は、2月27日の時点で日本のいくつかのメディアのインタヴューに答え、「仮定や憶測の炎に油を注ぐことはしない」と断ったうえで「東京オリンピックを予定通り開催できるよう全力を尽くす」と発言。IOCの重鎮でもあるディック・パウンド元副会長が発言した「中止もあり得る」「イギリスとカナダへの開催地変更も……」「判断の期限は5月末」といった発言を、やんわりと否定した。

もっとも、IOC会長がそんな発言をしたからといって、東京オリンピック・パラリンピックの「正常な開催」が保証されたわけではない。すべてはCOVID19の世界的感染が治まるかどうか……にかかっている。おまけに今や世界最大のメガスポーツイベントとなったオリンピック・パラリンピックには、簡単に中止や延期ができない事情もあるのだ。

小生は、橋本聖子オリパラ担当大臣も口にした東京オリンピック・パラリンピックの年内延期、それも3か月延期(10月24日開会式)が最善策に思う。そうすれば「スポーツの秋」の開催ともなり(1964年の東京五輪も10月10日開幕だった)、札幌に移転したマラソンや競歩も東京で行えるはずだ。

が、この意見はアメリカのテレビ局(NBC)が絶対に許さないという。なぜなら10月下旬になるとMLB(大リーグ)のワールドシリーズもあれば、NBA(バスケットボール)やNFL(アメフット)も開幕する。それほどのビッグイベントに加えてオリンピックまで……となるのは絶対に避けたいというのがアメリカのテレビ局の強い意向なのだ。

現在IOCの予算総額の約2分の1がテレビの放送権料。その2分の1以上を支払っているアメリカのテレビ局の意向は無視できないという(1964年の東京大会のときは衛星放送が生まれたばかりで同時中継は開会式しか行われず、アメリカのテレビ局の意向を斟酌する必要もなかった)。

そもそも世界のどの都市も、オリンピックの開催に立候補するときは、開催を7~8月に……という規則を守らなければならない。それもアメリカのテレビ局の事情で決められた規則で、東京や北京などアジアの都市でのオリンピックでは、アメリカで人気の水泳や陸上競技の多くの種目の決勝が午前中(という選手がコンディションを整えるのに苦労する時間帯)になっている。それはアメリカ東部時間のゴールデンタイム(午後7~9時)に合わせるためだとされているのだ。

それら「選手優先(アスリート・ファースト)でなく「アメリカのテレビ優先」すなわち「マネー・ファースト」のルールを続けていていいのか? という新たな問題提起のためにも、COVID19をきっかけに東京から「選手優先」の新ルールを提案しよう! というのが小生の意見だったが、残念ながらそれは一顧だにされなかったようだ。

先に書いたパウンドIOC元副会長のイギリスとカナダに会場を移転する案も、100パーセント不可能な提案というほかない。そもそも2012年ロンドン五輪開催時の選手村が今ではマンションとして使われ、メイン・スタジアムも観客席が縮小されてサッカー・スタジアムに改装されていて無理。カナダは1976年モントリオール大会を開催したが、そのときに大赤字を出し、その後40年間も借金返済のための増税に苦しんだ経験があり、これも五輪受け入れなど不可能だろう。

そんななかで、代わって真剣に検討されているのが1年間の延期だという。

3月20日にギリシアから届けられる聖火のリレーだけは何とか規模を縮小してでも日本で行い、様子を見てCOVID19の拡大蔓延が止まらないようだったら、聖火だけは日本に留め、大会の開催を1年後に延ばすというのだ(安倍首相が「ここ2週間が山場」といったのは、何としてでも聖火リレーに漕ぎ着けたかったから……と言う人もいる)。

過去のオリンピックでは3度の大会が「戦争」のために中止になった。第1次大戦で1916年のベルリン大会が中止。日中戦争で1940年東京大会が返上。代替のヘルシンキ大会が第2次大戦(ソ連・現ロシア軍のフィンランドへの侵攻)で中止。続けて1944年ロンドン大会も中止。ならば「新型コロナウィルスとの戦争」も、五輪開幕時までに治まらなければ「延期」でなく「中止」というのが過去の例から順当なところと言えるかもしれない。

が、ここでも問題になるのは放送権料と同じ「マネー・ファースト」の五輪の現実だ。聖火リレーにもスポンサーがつき(だから止められない?)、大会にも多くの協賛企業から莫大な協賛金を集めている現在のオリンピック・パラリンピックを中止するとなると、そこで集めた合計数千億円のカネをどうすればいのか? 協賛企業への保証も、とてもじゃないけど「中止します」で済む話ではない(東京マラソン一般参加者には、参加料は返金されなかったが、一人1万数千円単位の話とは事情が違いすぎますからね)。

そこで考えられたのが「1年間の延期」というアイデアだ。何が何でも「マネー・ファースト」のために東京オリンピック・パラリンピックを開催しなければならない事情が「中止」を不可能にする……というのは東京都民や日本国民にとっては幸いなことと言えるかもしれない。が、スポーツにとっては、ここまで肥大化したオリンピックのあり方そのものを考え直すことこそ急務と言えそうだ。

(Up&Coming '20 春の号掲載)