はじめに

福田知弘氏による「都市と建築のブログ」の好評連載の第15回。毎回、福田氏がユーモアを交えて紹介する都市や建築。今回はマチュピチュの3Dデジタルシティ・モデリングにフォーラムエイトVRサポートグループのスタッフがチャレンジします。どうぞお楽しみください。

Vol.15

マチュピチュ:空中都市

大阪大学大学院准教授福田 知弘

プロフィール

1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学准教授、博士(工学)。環境設計情報学が専門。CAADRIA(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)国際学会 フェロー、日本建築学会 情報システム技術委員会 幹事、NPO法人もうひとつの旅クラブ理事など。著書に、VRプレゼンテーションと新しい街づくり(共著)、はじめての環境デザイン学(共著)、夢のVR世紀(監修)など。ふくだぶろーぐは、http://fukudablog.hatenablog.com/

マチュピチュへ

マチュピチュは、かつてのインカ帝国遺跡。聖峰マチュピチュと聖峰ワイナピチュとの尾根筋に存在した空中都市だ。標高は2,280m。いうまでもなく世界遺産。インカ帝国の首都クスコから北西へ130km。クスコの近隣エル・アルコ駅からビスタドーム列車で3時間40分。エル・アルコの標高が3,678mと富士山頂に迫る高さであり、マチュピチュの最寄り駅アグアス・カリエンテスの標高が2,038m。スイッチバックを繰り返しながら1,600m以上くだっていく。列車は、ウルバンバ川に沿って進み、車窓からはアンデスの山々が視界に飛び込んでくる【図1】。温泉の町アグアス・カリエンテスからはシャトルバスでマチュピチュへ。標高差400mもあるジグザグ道をひたすら登っていきながら入り口へ【図2】。

【図1】ビスタドーム列車

【図2】集合写真

マチュピチュを歩く

マチュピチュとは、その山の名前であり「老いた峰」を意味するが、遺跡の元の名は依然わかっていない。世界的にも美しいといわれる石造建造物群は、1911年北米探検家ハイラム・ビンガムにより発見された。100年ほど前だ。インカの人々はスペイン人による征服から逃れるため、あるいは復讐の作戦を練るために空中都市を作った。マチュピチュは、スペイン人たちに一度も攻撃されていないのだが、ある日インカの人々は自らこの町を焼き、奥のジャングルへ逃げていったと見られる。

マチュピチュと聞くと、見張り小屋からの風景をイメージされるのではないだろうか【図3】。見張り小屋は都市の最も高い場所にある。

【図3】マチュピチュ全景

マチュピチュの総面積は約5km2。農業区域と居住区域に分かれる。建造物群の南側にある農業区域は段々畑が山麓まで広がる【図4】。

【図4】農業区域の段々畑から居住区域をみる

このスケールの大きさには本当に圧倒された。インカの人々は至る斜面地に段々畑を作った。3mずつ上がる段々畑が40段。ジャガイモ、トウモロコシ、コカなど200種類以上の作物を栽培したといわれる。時折、段々畑でのんびり過ごすリャマやアルパカの姿【図5】。

【図5】リャマ

居住区域は、儀式的な特徴をもつ建物や、太陽の神殿、王の宮殿、住居、墓など【図6】。通路や水路も巡らされた計画都市である。中央広場は石造りと緑の調和が美しい【図7】。

【図6】居住区域

【図7】中央広場

インカの人々は、カミソリの刃一枚も通さない石組み技術をはじめとして、石を扱う技術に長けていたといわれる。建物の窓や入口などの形は長方形ではなく全て台形【図8】。石は様々なシンボルとしても使われていた。コンドルの神殿は、居住地区の東南部にあり、コンドルの頭を彫刻した岩が鎮座している。ここは神殿なのか牢獄なのか。

【図8】台形の入り口

ワイナピチュ

見張り小屋からマチュピチュを見た時に、背後にそびえる山はワイナピチュ(「若い峰」の意味)。軍事目的あるいは天文学のための観測所。登り口で名前を書いて、細くて険しい山道を上っていく【図9】。同じグループのメンバーは何人か脱落。40分ほどかけて登頂してみると、なんと、ワイナピチュの頂上にもインカの建造物がある。ワイナピチュの標高は2,634m。マチュピチュが2,280mだから350mほど登ったことになる。条件が良ければ6,000m級のアンデスの山並みを眺めることができるそうだ。

ワイナピチュから見たマチュピチュは、翼を広げたコンドルの形をしているといわれる【図10】。上空を見上げれば、コンドルは飛んでいく。

【図9】ワイナピチュ登山道

【図10】ワイナピチュよりマチュピチュ

3次元計測技術による3次元モデリング

3次元計測の技術開発と応用が測量分野を中心に進んでいる。マチュピチュ遺跡全域を3次元計測して、高精細なVR(人工現実)コンテンツを作成するという試みもあった。これは巨大なデジタルアーカイブであり、世界遺産の保全、日本からマチュピチュへの訪問など実際のアクセスが困難である対象を体験できることから、大変意義深い試みである。

三次元計測に関連して。3DCGやVRで景観検討を行う場合には、計画・設計対象と対象地周辺の現状(地形、地盤、建築物、土木構造物等)を3次元モデル化する必要がある。この現状の3次元モデルを3DCAD/CGソフトで高精度に作成するには多大な工数と労力が必要である。そのため、筆者の研究室では、3次元計測技術を用いて現状の3次元モデル作成を省力化できないか、と検討している。その際、3次元計測技術で得られる点群だけでは図面化や各シミュレーション等の後工程での再利用が限られるため、ポリゴン化することが望ましい。しかしポリゴン化の際には、ポリゴンの大量発生、端部が良好に作成されないこと、部分的に欠損が生じることなどの課題を含んでいる。そのため、これらの課題を解決するソフトウェアの開発に取り組んでいる。

尚、現状の3次元モデル作成の省力化に向けては、他のアプローチとして、AR(拡張現実)システムの開発も進めている。このアプローチは、対象地周辺の現状については、3次元モデルを作成せずにビデオ等で取得される実写映像を使用しようというものである。

日本の空中都市

日本で空中都市といえば?一つ挙げるならば、竹田城ではないだろうか。竹田城は兵庫県朝来市和田山町にあり、姫路から播但線で約1時間半。標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に築かれた山城で現在は石垣が残されている【図11,12】。麓の町、竹田の標高は99mなので、比高は254.7m。大阪のWTCやりんくうゲートタワービル程の高さである。尚、竹田城は標高付近にある円山川の川霧により雲海が発生すれば、より一層空中都市らしくなる。秋から春にかけて見頃だ。マチュピチュと同じ頃の建造なのが何しろ興味深い。

【図11】竹田城(南千畳)

【図12】竹田城(北千畳)

ペルーへの旅路

最後に、マチュピチュのあるペルーへは長旅を覚悟して。筆者は、関空からロス経由でリマに入るのが最短コースなので利用したが、行きはリマまで20時間。ロスで丁度折り返し地点というイメージ。帰りはクスコから国内便でリマに行き、国際便に乗り換え、ロス経由で関空へ。待ち合わせの時間が長いこともあって、クスコからは何と41時間・・・また、クスコは標高3,360m。高山病には十分にご注意を。

3Dデジタルシティ・マチュピチュ by UC-win/Road
「マチュピチュ」の3Dデジタルシティ・モデリングにチャレンジ

UC-win/Roadよる3次元VR(バーチャル・リアリティ)モデルを作成したものです。ペルーの世界遺産マチュピチュの、標高2000mを超える空中都市の様子を再現。今回、スパコンCGレンダリングによる画像生成を行い、急峻な高山の景観や山腹の霧を表現しました。地形データは、ASTER GDEMのDEMデータから、CityDesignツールのImageToTerrain(Up&Coming No.91「サポートトピックス」掲載)によりXMLファイルに変換して読み込み、周辺の山なみを生成。石造りの段々畑やインティワタナ、太陽の神殿、コンドルの神殿、太陽の門などの遺跡のほか、尾根伝いの峰ワイナピチュ、山上に至るハイラムビンガムロードの一部を表現しています。

(Up&Coming '12 新年号掲載)