はじめに

福田知弘氏による「建築と都市のブログ」の好評連載の第16回。今回はクリチバの3Dデジタルシティ・モデリングにフォーラムエイトVRサポートグループのスタッフがチャレンジします。どうぞ、お楽しみください。

Vol.16

クリチバ:鍼治療

大阪大学大学院准教授 福田 知弘

プロフィール

1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学准教授、博士(工学)。環境設計情報学が専門。CAADRIA(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)国際学会 フェロー、日本建築学会 情報システム技術委員会 幹事、NPO法人もうひとつの旅クラブ理事など。著書に、VRプレゼンテーションと新しい街づくり(共著)、はじめての環境デザイン学(共著)、夢のVR世紀(監修)など。ふくだぶろーぐは、http://fukudablog.hatenablog.com/

人間環境都市・クリチバ

人口180万人のブラジル・クリチバ市。サンパウロから西へ400km離れた、ブラジル南部パラナ州に位置する州都。1992年ブラジルで開催された地球サミットで一躍有名となり、都市計画・交通政策・環境政策において世界中の専門家から注目を集める人間環境都市だ。

1971年、弱冠33歳のジャノメ・レルネル氏が市長となり彼が中心となって、「人が主役のまちづくり」をコンセプトとしながら、経済的にも技術的にもクリチバ市にとって無理のないプロジェクト、市民が理解しやすいようなシンプルなプロジェクトを継続的に実施してきた。レルネル氏のスタンスとは、

-The city is not a problem, the city is a solution.
-都市は人間のためにあるべきである。
-都市には金持ちも貧乏もいる。スラムは必ずできる。それを阻害するのではなく、如何に一緒に考えるかを行政が考えないといけない。
-今よりもこれ以上悪くしない。鍼治療が必要。

筆者は2006年夏に訪問したが、クリチバ空港に到着してまず驚いたことを2つ紹介しよう。

1つ目は、到着ロビーの中央に、市のインフォメーションセンターがあって非常にわかり易くデザインされた観光案内地図を配っていること。市内に行くにはどうすれば良いかという不安を真っ先に払拭してくれた。

2つ目は、空港から市内へ頻繁にアクセスするシャトルバスの存在。タクシーであれば市内までR$50~60(2,500~3,000円)かかるところを、シャトルバスはR$6(300円)という低価格で運行していた。それでは鍼治療を幾つか。

花通りプロジェクト

都心の繁華街から車を追い出した通称花通り(1972年)。クリチバの成功はここから始まったといわれる。

就任したてのレルネル市長は、市内有数のメインストリートの一区画を閉鎖して、わずか72時間で歩行者専用道を整備(南米初)。車を閉め出された沿道の商店主は客足が遠のくことを心配して大反対。しかし、市民が以前より花通りに集まるようになり、商店街の売り上げも向上したこともあって、次第に反対する者は誰もいなくなったそう。

土曜日の早朝に歩いたが、子供達のお絵描きイベント、絵画展、テレビ中継などが行われ賑やか【図1】。夜景も中々【図2】。

【図1,2】花通り朝景と夜景

密な道路計画と土地利用計画

クリチバの自動車数は80万台。市民2人に1台の割合となるが、これは同規模の都市と比べると30%も少ないのだそう。その成果の基になる政策の一つがトライナリーシステム。

トライナリーシステムは、都市の発展方向に幹線軸を5本整備し、それぞれの幹線軸上には互いに並行する3本の道路を整備。中央の道路は急行バス専用レーンを有する道路、両側には郊外から都心へ流入する一方通行の道路と、都心から郊外へ流出する一方通行の道路。この道路計画と土地利用計画が密接かつ肌理細やかに設定されており、建物の高層化はこれら3本の道路の内側だけに可能である。そのため、都市の中心部に必要な機能を集約することができ、幹線軸上に都市の骨格を形成することができる。高密度な土地利用がなされるため交通機関の利便性を高めることも可能。まさにコンパクトシティ【図3】。

【図3】都市軸俯瞰

バス輸送システム

都市の発展による交通問題解決のため、クリチバでは、経済的・技術的な問題と短期間での解決を目指し、地上にバスを走らせながら地下鉄のように運用する方法を考案した。「クリチバ市民はどこに住んでいても500m歩けば5分に1本以上の頻度で来るバス停留所にアクセスできる」という目標のもと、バス専用レーンを設置し、そこにボルボ社と共同開発した3連結の急行バス(定員270人。【図4】)を走らせ、チューブ型バスステーションを開発して乗降時間を短縮させ【図5】、均一料金として市内どこにでもバスで自由に行き来ができるようにした。サトウキビを燃料にしたバイオディーゼルの研究も行われている。

【図4】3連結バス

【図5】チューブ型バスステーション

55.0㎡/市民

1971年以来、クリチバは積極的に緑化を推進。市民一人あたりの緑地面積の変遷を見ると、1971年0.65㎡に対して1992年50.15㎡、2002年55.0㎡と、わずか30年間で55㎡も増加。緑地面積を増やすための戦略として、宅地造成や土地造成に不向きなところ、河川敷などの氾濫源、放置されている崖や石切り場跡など、不都合なところをうまく利用して公園にしていることが挙げられる。【図6】はその一つ、バリグイ公園。公園整備を進めると不法侵入が増えるともいわれるが、公園整備に併せて自転車道路を整備することで人の目が届くようにし、不法侵入者を住まわせないという工夫も併せて実施。

【図6】バリグイ公園

ゴミでないゴミプログラム

クリチバは環境政策にも熱心。例えば再生可能なゴミの分別収集プログラム。市民の意識を改革する目的で、扱い方を工夫して、ゴミ問題ではなく自然資源の節約・自然保護への参加協力を期待した環境教育として実施している。ゴミ分別を、強制や押し付けではなく、なぜ分別するかをはっきりと理解させながら、楽しくボランティア的なものとして考えているそう【図7】。「分けなくては駄目」と言ったらおしまい。分けることによって人々が良いことをしているという意識を持たせよう。このような取り組みは大人になってからは中々実行しづらいので、子供に積極的に教えているそうだ。

【図7】分別収集の様子

この他、主にスラム街に住む人々を対象としてゴミと食料を交換する「ゴミ買いプログラム」や「緑の交換プログラム」「環境寺子屋教育」「水を見ようプログラム」など、幅広くトライ。

再利用の精神

オスカー・ニーマイヤー博物館は、全て新築とするのではなく、1960年代に建設されたニーマイヤー設計の古い学校施設を再利用。この施設と新しい目玉のようなフォルムの建物を地下道で結ぶことで、短期間で事業費を抑えて完成したそうである【図8】。こんな、再利用の建物がクリチバには多数存在する。やはりレルネルさん。

【図8】オスカー・ニーマイヤー博物館

中村ひとしさん

クリチバでは、長年、クリチバの環境都市づくりを推進してこられた中村ひとしさんを訪ねた。といっても、中村さんと連絡が通じてお会いできる事が決まったのはクリチバに着いた翌朝。夕方にはクリチバを発つ。中々連絡が通じなかったのだが、これほど「会いたい」と思ったことも珍しいかもしれない。御多用の中、非常に親切に丁寧に案内をして下さり感謝している【図9】。

【図9】植物園で中村ひとしさんと

感動して帰国して早々、学生にクリチバへ行ってみないかと声をかけたところ、博士前期課程の坂井健一君が立候補した。(財)安藤忠雄文化財団から助成を受け10日間程滞在。報告書の分厚さからして、非常に有益な研修だったようだ【図10】。

【図10】坂井君と寺子屋の子供達

中村さんはその後、度々日本に来られている。来阪の折を見計らって、講演会や学生とのワークショップを開いてくださった【図11,12】。話が本当に面白く、若者から多数の質問が飛び出したことが忘れられない。

【図11,12】大阪大学での中村ひとしさん講演会とワークショップ

クリチバの環境都市づくりの詳細は、服部圭郎著「人間都市クリチバ―環境・交通・福祉・土地利用を統合したまちづくり(学芸出版社)」に詳しい。是非、ご一読を。

3Dデジタルシティ by UC-win/Road
「クリチバ」の3Dデジタルシティ・モデリングにチャレンジ

UC-win/Roadによる3次元VR(バーチャル・リアリティ)モデルを作成したものです。ブラジルの“人間環境都市”クリチバの景観を表現しました。幹線の専用レーンを急行バスが走る交通流や道路中央のチューブ型バスステーションを表現しています。街の中心のひとつ、ルイ・バルボサ広場のチューブを連結したバス・ブースや各種のバスが集まるバスステーションをモデル化し、また、緑豊かな環境都市の象徴として、植物園と日本広場のほか、カラフルな分別ゴミ箱も表現。植物園では独特な形状の温室、人工的整形の植栽が幾何学模様を描くフランス式庭園をモデル化しました。日本庭園の景観はスパコンによるレンダリングを行っています。

「スパコンクラウド®CGムービーサービス」では、POV-Rayにより作成した高精細な動画ファイルを提供します。今回の3Dデジタルシティのレンダリングにも使用されており、スパコンの利用により高精細な動画ファイルの提供が可能です。また、POV-Rayを利用しているため、UC-win/Roadで出力後にスクリプトファイルをエディタ等で修正できます。

(Up&Coming '13 春の号掲載)