Vol.24
養老川

~日本初、地質年代の新名称「チバニアン」が河岸に~


千葉県


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養老川は、千葉県夷隅郡大多喜町の麻綿原高原(清澄山の北東部)を源流とし、房総半島の中央部を蛇行しながら北へと流れて東京湾に注ぎます。流域面積は245.9km2、延長は75kmで、千葉県内では3番目に長い河川です。

途中で養老渓谷を形成し、その周辺には粟又の滝(高滝)や弘文洞跡などの景勝地が点在しています。さらに、市原市田淵付近では地質学的に貴重な「チバニアン」の露頭も確認できます。

流域に上総国分寺や尼寺が存在していることからもわかるように、養老川沿いには古くから人々が暮らしていました。農耕に川の水を使い、舟運で物資を運ぶなど、暮らしの中で川は欠かせない存在でした。

房総半島の地質は比較的新しく、また隆起の速度も日本アルプスと並ぶほど活発です。そのため養老川は浸食、蛇行地形が発達しており、江戸時代にはこれらの地形をたくみに活かした「川まわし」などの新田開発が盛んに行われてきたと伝えられています。


チバニアン

養老川沿いの千葉県市原市田淵には、「千葉セクション」と呼ばれる海底堆積物の地層があります。もともと水深500〜1,000メートルの深海に位置していたものが隆起し、地表で確認できるようになったという世界でも珍しい地層です。

この地層の大きな特徴は、「地磁気逆転」(地球の磁場のN極とS極が数万年から数十万年の周期で入れ替わる現象)の記録を精度よく見ることができる点です。千葉セクションに残されている逆転の記録は、現在の地磁気の向きが定着する前の、最後の逆転にあたります。

千葉セクションには、「白尾びゃくび火山灰層」と呼ばれる火山灰の層が含まれています。この火山灰は約77万年前、現在の御嶽山付近で噴火が発生した際に飛来したものとされています。

注目すべきは、この火山灰の層が、地磁気の逆転が生じたとみられる地層のすぐ近くに堆積していることです。このことから、地磁気が最後に反転したのは、およそ77万年前であったと推定されました。火山灰の層と逆転の境界が同時期に記録されていることで、地磁気逆転の年代を特定するうえでの重要な手がかりとなっているのです(下図参照)。


主な地質年代

この時代(約77万年前~12万9千年前:新生代第四紀更新世中期)には、明確な地質年代の名称が長らく存在していませんでした。こうした中で、千葉セクションに記録されていた地磁気逆転の痕跡は、保存状態が極めて良好で、時代区分の境界を示す根拠として高く評価され、2020年1月、「チバニアン」という名称が国際的に正式採用されました。日本の地名が地質年代の名称として使われるのは、これが初めてのことです。また、2022年5月には「ゴールデンスパイク(GSSP)」(国際的な地質年代の基準となる地層断面に与えられるマーカー)が設置されました。

なお、2018年には「養老川流域田淵の地磁気逆転地層」として国の天然記念物に指定されています。


チバニアンの露頭

弘文洞跡(こうぶんどうあと)

養老川には、本川や支川を含め、多くの川まわし箇所があります。

そのひとつが、千葉県夷隅郡大多喜町にある弘文洞跡です。養老川水系の支流夕木川(蕪来川)の流路を変えるために作られた隧道の跡で、江戸時代の工事だと考えられています。水の流れを付け替えたことで、旧河道は水田として利用されました。

元々はそれほど大きな断面ではなかったのでしょうが、少しずつ崩落を重ね、1979年(昭和54年)5月24日の未明に突如上部が崩落。それまで通行できていた洞の上の農道も失われました。

現在は、崩落によって開けた地形が独特の景観を形成しています。


崩壊前の弘文洞 現在の弘文洞跡

<参考文献>
市原市 HP(チバニアン)
ちば河川交流会「ちばの川訪ねある記(1)」2006年3月

(Up&Coming '25 盛夏号掲載)


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