この原稿を書いているのは3月中旬。東京オリンピックの聖火リレーが始まる24日の2週間前。従って、聖火リレーが予定通りに行われるのか……また、7月開催予定の本大会が開催できるのかどうか……まだまだ予断を許さない状態が続いている。
この混乱の原因は、言うまでもなく、すべては新型コロナのせいと言うほかない。が、オリンピックそのものにも問題がないとは言えない。
たとえば聖火リレー。これは本当に行わなければならないイベントなのか?
そもそも聖火リレーは、何のために行うのか?
1896年アテネで第1回オリンピック大会が開催されたとき、創案者であるクーベルタン男爵には「聖火」という発想はなかった。
その後の研究から、オリンポスの主神であるゼウスを讃えるための祭典だった古代オリンピックでは、プロメテウスがゼウスから火を奪い人間に与えた故事から、ゼウスへの感謝の意味を込めて火を燃やし続けていたことが判明。1928年第9回アムステルダム大会で、メインスタジアムの入口にあったマラソン塔の上に「火」が燃やされるようになった。
開会式の入場行進で、ギリシアが先頭を切って行進するようになったのもこの大会からで、近代オリンピックと古代オリンピアの祭典を強く結び付けようという発想が生まれたのもこの大会からのことだったと言うことができる。総長でドイツ・スポーツ界の権威だったカール・ディーム博士が、その「火」を古代オリンピック発祥の地であるギリシアのオリンピアの地で採火し、近代オリンピックの会場であるベルリンまで運ぶことを提案。バルカン半島を北上し、ブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、チェコスロバキアを経由して3075kmの距離を3075人のドイツの若者の手によって運ぶことになったのだった。
この提案は、当時のドイツの支配者だったナチスの総統ヒトラーによって即座に認められた。ドイツ人がヨーロッパ文明を担うグレコローマン(ギリシア・ローマ)直系のアーリア民族であることを示すプロパガンダに利用したのだ。そして近隣諸国への侵略と領土拡大を企図していたヒトラーは、この聖火リレーを道路事情の調査などのスパイ行為に利用したとも言われている(実際3年後にナチス・ドイツ機甲師団の戦車部隊が、聖火リレーの走った道を逆走して東欧諸国を占領した)。
聖火リレーを提案したディーム博士はもちろん、スポーツを愛する人々には、ナチスの深謀など思いも寄らないことだったに違いなく、第二次大戦が終わってオリンピックが復活すると同時に聖火リレーも復活。
1964年の東京オリンピックでは、歴史上初めて聖火がアジアに渡るということで、ギリシアを出発点に、イスタンブール、ベイルート、テヘラン、ラホール、ニューデリー、カルカッタ、ラングーン(現・ヤンゴン)、バンコク、クアラルンプール、マニラ、香港、台北を経由し、沖縄に到着(そのコースは、言わば第二次世界大戦で迷惑をかけたアジア諸国への「お詫び行脚」でもあった)。
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