阿賀川は地元では、古来「大川(おおかわ)」と呼ばれていましたが、会津盆地に入ってからの流路は固定せず、大洪水毎に替る状態でした。織豊時代の1611年(慶長16年)8月21日に、会津盆地西縁の活断層による直下型の大地震(M=6.9、震度6強〜7)が発生し、この断層の上流側に湖(山崎新湖 約8km2、大川ダム湛水面積の約4倍)ができ、湖の解消は、30数年後の江戸期初代会津藩主保科正之(ほしな まさゆき)の時代でした。
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図1 山崎新湖の推定図 |
図2 阿賀川下流部 捷水路工事 |
阿賀川下流部の蛇行区間は洪水が円滑に流下せず、たびたび浸水被害が生じていました。そのため1921年(大正10年)から1938年(昭和13年)に捷水路が開削され、泡の巻・土堀・袋原の各捷水路により、10.1kmを0.8kmにショートカットしました。その後戦時体制になったことや地すべりの発生等のため工事は中断しましたが、1982年(昭和57年)9月の洪水を機に、泡の巻地区改修を再開し、2012年(平成10年)11月に完成させました。平成20年には津尻地区も完成し、順次下流狭窄部の改修を進めています。
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写真1 泡の巻(拡幅前) |
写真2 泡の巻(拡幅改修後) |
その他支川の湯川、宮川、日橋川(にっぱしがわ)等も放水路の新設等で改修されました。
また1987年(昭和62年)10月に、阿賀川本川中流部に大川ダムが完成しました。大川ダムはダムサイトの地質に恵まれない為、我が国最初のRCD(Roller Compacted Dam-concrete)工法によるマット上のダムで、右岸側はコンクリートとロックフィルダムとの複合ダムです。
ダム建設の目的は、洪水調節、流水の正常機能維持、かんがい、水道および工業用水確保、揚水式およびダム式発電の7つです。
一方、2012年(平成10年)8月末の洪水により猪苗代湖湖畔及び日橋川沿い水田等に被害が発生したことを契機に福島県により十六橋水門(じゅうろくきょうすいもん)が改築され、猪苗代湖に治水容量が確保されました。
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写真3 大川ダム (マット方式でコンクリートとフィルダムとの複合ダム) |
写真4 大川ダム(マット方式) |
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