またしても……と言うべきか。日本のスポーツ界で暴力事件が発生してしまった。メディアでも大きく報じられた九州の私立高校サッカー部での事件である。
ある30歳代のコーチが、サッカー部員の生徒に対して殴打や足蹴りなど、暴行としか言えない酷い暴力行為行い、それが映像に撮られネットで公開された。おまけにこの映像を撮って公開した11人の部員たちが「世間を騒がせた」と謝罪する映像も公開された。
その「謝罪」について、サッカー部監督は自ら進んでテレビ番組に出演し、高校生たちが自発的やったことと説明したが、じつはこの監督が部員たちに恐喝めいた言葉で謝罪を強要していた録音が発覚。それら一連の出来事に対して学校が記者会見を開き、サッカー部コーチの罷免を報告したうえ監督が謝罪。
ところがその場で、「暴力行為は見たことがない」と語った監督に対してサッカー部のOBたちが、監督自身が暴力をふるっていたことを暴露。長時間の正座の強要や顔面への殴打など、酷い暴行を高校生に何度も加えていたことをテレビのインタヴューで証言し、監督も退職することになったのだった。
監督の自己保身としか思えない虚偽発言の連続には、唖然とするほかない。が、日本のスポーツの指導では、何故こうも暴力事件が続き、なくならないのだろうか?
学校の体育やスポーツの指導者による暴力の起源を調べてみると、それは戦前の軍事教練にルーツを求めることができそうだ。
昭和の初期から中学校の体育の授業は陸軍の教育士官が指導者となり、「体育教練(体練)」と呼ばれるようになった。そして走ったり跳んだり、ボールを投げ合ったり蹴り合ったりしていた授業は、柔道剣道などの武道や、木銃を持っての分列行進などが中心となり、教育士官は、生徒を指導するのではなく命令で動し、命令通りに動けない生徒には「気合いを入れる」ようになったという。
戦後になって、戦地から復員してきた若い兵隊の多くが(就職しやすい職業として)体育教師となり、軍隊で行われていたような「ビンタ(平手打ち)」や、竹刀を使っての「気力注入」を行うようになった。その頃から、体育教師や運動部の指導者による暴力行為が常態化するようになったという。
1964年の東京オリンピックのあとは、女子バレーボールで金メダルを獲得し「鬼の大松」と呼ばれた大松博文監督や、金メダルを量産したレスリングの八田一郎監督の「根性論」が誤解され(彼らが指導者として暴力をふるったことはなく、その指導は科学的だった)、さらに漫画『巨人の星』の流行から「非科学的な根性論」がもてはやされるようにもなり、暴力を伴う指導が「愛の鞭」や「シゴキ」、相撲部屋の「可愛がり」といった言葉とともに容認されるようになったのだった。
じっさい私も、長いスポーツ取材の経験のなかで、指導者の暴力行為としか思えない酷い暴行現場に遭遇したことが何度もある。甲子園大会への出場が何度もあり、高校野球界の「名将」と呼ばれていた監督が、グローヴを外させた高校生に向かって至近距離から硬球を投げつけ、何度も身体にぶつけるのを見たり、平手や拳で高校生の顔面を殴りつける監督も何人も見た。エラーをした選手に「尻バット!」と叫んでバットで尻を殴打する監督もいたし、スポーツ名門校と呼ばれる高校の朝礼で、女子生徒の尻を竹刀で叩いたり、顔にビンタを浴びせる教師を見たこともあった。
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