橋百選 |
BRIDGES 100 SELECTION |
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土佐藩家老の野中兼山によって造られた手結港の入口に架かる片側跳ね上げ式の可動橋である。日本でも珍しい形式で橋の手前には踏切のように遮断機が設けられている。港に出入りする船の邪魔にならないように ほとんど橋は空高くそそり立っている。警報機が鳴り始めると遮断機が下がり、橋はゆっくり上がり始める。この橋を渡れるのは1日のうち約7時間だけでその他の時間は船舶通航用である。駆動は油圧シリンダー方式で跳開角度は最大70度である。桁下2mの可動橋で、約6分かけてゆっくりと開閉する。
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橋長 ● 32.8m |
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幅員 ● 7.0〜9.0m |
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奈半利川支流の小川川に架かる無筋コンクリート造の充複式二連アーチ橋。スパンの長さは約20mでコンクリートで造られた橋としては我が国最大級で、建造は1940年。日本が戦争のために鋼材の使用を制限していた時代を反映する建造物である。経済産業省の近代化産業遺産群にも認定され、現在は県道の一部として使用されている。コンクリート技術史上、高い価値がある。旧魚梁瀬森林鉄道橋梁、国指定重要文化財(建造物)。
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単線仕様の鋼製橋梁。主径間には下路式二連トラス橋が施されている。トラス橋とガーダー橋を組み合わせた小島橋は、森林鉄道遺産の中で最も大規模な橋で経済産業省の近代産業遺産群にも認定されている。現在、歩行者や軽自動車のみが渡れる橋として利用されている。国指定重要文化財。
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今成橋は四万十川の最も下流にある沈下橋である。「佐田の沈下橋」の呼び名で親しまれていて四万十川流域で最も長い沈下橋でもある。架橋以前は両岸の集落をつなぐために渡し舟が運航されていた。橋の上で行き違いができるように途中の2か所で幅員が広くなっている。
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西土佐村岩間と芽生(かよう)とを結ぶ岩間大橋は、洪水時にはたびたびその姿を水中に隠し、芽生地区の人々は不便な生活を強いられてきた。そのため「かよう大橋」が西土佐村中半に架橋された。中央に支柱を持つ四万十川で唯一のPC斜張橋である。
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町の中心部と対岸の梼原三島神社を結ぶ重要な橋。上部は梼原町産材(FSC認証材)を多用した屋根付き橋となっている。橋の中央部は屋根を一段高くし張出し部分を設けるなど、千年以上の歴史をもつ三嶋神社や周辺景観に配慮した構造となっている。木の温かさを持つ橋として地元住民や参拝者に親しまれている。親柱は木製円柱上部螺旋彫先端宝珠型、橋脚翼壁とも自然石積み。
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江戸から明治にかけ渡し舟が使われ、明治末期には船橋があった。1911年に旧橋の建設が始まり1915年に橋脚は鉄とコンクリート製の木造のトラス橋が完成した。1930年に完成した現在の仁淀川橋は当時としては大規模な橋梁工事で鋼材は兵庫県から貨物船で須崎港に輸送され鉄道や馬車で運搬された。開通当時は徒歩、馬車、荷車の利用がほとんどだったが、その後車の通行が多くなり1945年に高知と松山を結ぶ国道に指定された。1988年に銀色の塗装塗り替え
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工事、1989年には全国的にも例の少ない供用中での現場溶接施工による橋桁や床板等の補強・補修を行っている。 |
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桂浜と高知港を結ぶ橋である。1972年開通までの移動手段は県営渡船を利用するか、高知市内を大きく迂回するかだった。日本で初めてスパンが200mを超えたPC橋で完成時には世界最長スパンを誇っていた。橋梁区間の道路幅員は大型車同士の離合もできるよう設計された。1972年土木学会田中賞受賞、上部構造:5径間連続PC箱、桁橋
下部構造:ニューマチックケーソン基礎3基。
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高知市中心部にあり国道32号支線ととさでん交通桟橋線が通る。名称の由来は江戸時代の高知の豪商 播磨屋と櫃屋の往来のために架けられたことから。元来は堀川に架かる私設の小橋であった。1998年に朱色の欄干から石造りの橋となる。現在、橋はなく高欄のモニュメントが設置されている。はりまや橋公園を整備する際に歴代の朱色の欄干の播磨屋橋が復元された。橋の下には人工水路が設置され、旧欄干は、はりまや橋公園の地下に展示されている。2012年にはペギー葉山の「南国土佐を後にして」の歌碑が建てられた。
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