新型コロナウイルス(COVID-19)の蔓延で、高校野球の春のセンバツ大会の中止に続いて夏の甲子園大会の中止が決定された。そのとき、ある高校野球部の監督がテレビのインタヴューを受けて、次のように語った。
「今年は仕方がないとしても、ウイルスの蔓延が一日も早く終息し、コロナ前の日常が戻ることを心から願いたい」
この言葉を聞いて、私は即座に、「違う」と思った。心情的には理解できる。が、せっかくの休息期間が生まれたのだ。春季大会、夏の予選、甲子園大会、秋の新人戦と、一年中続いていた高校野球の試合が、練習試合も含めて中断されたのだ。ならば、この期間を無駄にすることはない。今こそ高校野球は、このままでいいのか?
コロナ前に戻っていいのか?……を、考え直すべきではないか?
地球規模の温暖化のなかで、日本国内でも最も暑い地域と言える関西地方の甲子園で、夏の全国大会を行う必要があるのか? 北海道などの涼しい地域に移すことは不可能か?また、夏の地方予選を、多くの高校の1学期末の試験期間に行っていていいのだろうか?
高校野球のすべての試合がトーナメントで、1度の敗戦で試合を終える学校が、全高校約4千校のうちの半分もある。そんなやり方でいいのか? それが教育的と言えるのだろうか? 地域や実力レベル(過去の成績)で区分してリーグ戦を行うことは不可能なのか? 女子高校野球への支援は考えなくていいのか?……などなど、改革案は山ほど思い浮かぶ。
そのような改革にはカネがかる、というのであれば、今は無料のNHK、朝日放送(夏の甲子園)、毎日放送(センバツ)の放送権料の有料化(独占化)するのも一案だろう。視聴率に見合う(おそらく莫大な!)放送権料を得るであろう高等学校野球連盟(高野連)は、その資金で北海道の根室や釧路の近辺に甲子園とそっくりの球場を建設することも可能だろうし、毎年その涼しい場所で全国大会を開催すれば、地方創生にも寄与できるのではないか?
あるいは全国的に人気の高い高校野球の放送権料や高校野球グッズのライセンス料等を利用して、全国の高校の部活動を支援したり、高校生スポーツの環境整備も行えるはずだ。
高校野球は教育だと言っても、集まるお金を高校教育に還元するのであれば、何も問題はあるまい。アメリカでは大学のスポーツ組織NCAA(全米大学体育協会)が、極めて人気の高い大学のアメリカンフットボールやバスケットボールによる利益を活用し、他の多くの大学スポーツへの援助に利用している(と同時に学生スポーツマンの勉学義務規定なども定めている)。
我が国でも、これを真似て「日本版NCAA=大学スポーツ協会UNIVAS」を昨年3月に発足させた。が、まだ一般的に知られておらず、箱根駅伝や大学ラグビーから得られる収益の配分など、不明瞭な点も多い。
が、同様のことを高校野球を中心に、高校ラグビー、高校サッカー、高校バレーなども巻き込んで行えば、大学スポーツ以上に人気のある高校スポーツから、高校生の教育環境やスポーツ環境を整えてゆくことも可能なはずだ(それにはNHK、朝日・毎日両新聞と高校野球の関係や、日本テレビと高校サッカー、毎日放送と高校ラグビーの関係を見直す必要がある。が、メディア=ジャーナリズムが高校教育の発展の邪魔はできないはずですよね)。
もちろん高校スポーツだけではない。コロナ後のスポーツ界、コロナ後の社会を見据えて「新しいスポーツ様式」を打ち立てるには、今が絶好のチャンスと言えるだろう。
1年延期となったオリンピックも「改革」に手をつけることができるはず。延期決定の当初は安倍首相が「完全な形」での開催を主張したが、コロナ禍の終息が見えない最近は組織委員会も「縮小プラン」を考え始めたようだ。
1964年の東京オリンピックが20競技163種目に、93カ国5152人の選手が参加したのに対して、来年の大会には33競技339種目に、1万2千人以上の選手の参加が予定されており、コロナ禍が存在しなくても、その肥大化と経費の高騰には多くの非難があがっている。そして縮小化を望む声は、IOC(国際オリンピック委員会)の委員のなかからもあがっていた。
なぜオリンピックはこれほど肥大化したのか? それはIOCがオリンピックの人気を高めるため(スポンサーとテレビ局から高額の資金を集めるため)世界的に人気の高い(TV映りの良い)競技を増やし続けてきたから、と言える。テニス、マウンテンバイク、BMX(自転車モトクロス)、9人制ラグビー、トランポリン、アーティスティックスイミング……など、1964年には存在しなかった競技が増え、さらに来年は、野球、ソフトボール、空手という日本で人気の競技と、サーフィン、スポーツクライミング、ローラースポーツ(スケートボード)など、若者に人気のある(高いTV視聴率が望める)競技が加わった。
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