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Users Report ユーザ紹介/第92回
株式会社 菊池技研コンサルタント
残された者が力合わせ、
津波の傷跡残る地域の復興を
震災前からUC-win/Roadで
氾濫等のシミュレーションも |
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岩手県の沿岸南部、三陸沖に向かって不規則に突き出たリアス式海岸により、その東側を広く縁取られた大船渡市。株式会社菊池技研コンサルタント・本社2階建社屋が立地する同市赤崎町石橋前は、尾崎岬をかすめて内陸側へ鋭く切れ込む大船渡湾の最奥部から、さらに盛川沿いを2kmほど北上したところに当たります。
「津波の高さはここまで達していました」
同社取締役技術事業部長の菊地剛氏は、1階の天井から約30cm下の壁を水平に走るやや変色した境界線を指し示しました。水が引いた後、その壁に掛けられていた時計は午後3時36分で止まっていたそうです。
3月11日、この一帯を震度6弱の揺れが襲った東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)の発生は、午後2時46分頃。気象庁の発表によると、大船渡の検潮所では午後3時18分にこの地震がもたらした津波の最大波(8.0m以上)を観測しています。
今回ご紹介するユーザーの残る1社は、株式会社菊池技研コンサルタント。取材に訪れた5月中旬、津波によって1階フロアがほぼ水没した本社社屋の復旧工事が急ピッチで進められていました。それでも、被災するまで総務および営業部門のオフィス、会議室、社長室などがレイアウトされていたという空間は、仕切りの多くが取り去られたままで、いたるところに津波被害の痕跡をとどめていました。
同社は長年、フォーラムエイトの計算ソフトを利用。さらに、3次元VRによる景観シミュレーションに注目してきた中で、3年前にUC-win/Roadを購入。以来、その機能を活かした積極的な活用を進めています。そこでとくに、同ソフトの導入プロセスおよびその利用に関わられてきた設計課および総務課情報係に焦点を当てます。
岩手県内を中心に広範な土木設計で実績 拠点間ネットワークを本社で一元管理 |
菊池技研コンサルタントは1963年2月に創業。地域に根差した建設コンサルタントを標榜し、測量業務や地質調査、設計業務、補償業務などを実施。また、土砂災害を通報し被害を防止する防災監視情報システムを自社で開発。産業用無人ラジコンヘリコプターによる撮影調査、薬剤散布といった業務も行っています。現在は本社をはじめ、盛岡・一関・奥州(いずれも岩手県)の3支店、花北・宮古・北上・二戸・久慈・釜石(以上、岩手県)・仙台(宮城県)・関東(千葉県)の8営業所を配置しています。
そのうち、設計課は土木設計に関わる広範な分野をカバー。県や市町村、国が発注する道路、河川、造成などさまざまプロジェクトで豊富な実績を誇ります。
これに対し、総務課情報係が担当する一つは、パソコンのメンテナンスやネットワーク構築など、社内のICT(情報通信技術)関連業務。もう一つが、下水道や急傾斜地に関するGIS(地理情報システム)の構築、あるいはUC-win/Roadを使った景観シミュレーションの作成など、対外的なサービスを供する業務です。
同社は2003年に拠点間のネットワークをすべてVPN(Virtual Private Network)で構築。それまでの、各支店や営業所がそれぞれのICTを管理していた形から、本社の情報係が遠隔操作しながら全社的なICTを一元的に管理する体制へと移行しています。
もともと電算課という独立した組織の下、同社で使用するソフトウェアを自社開発していたシステム係と、設計者が手描きで作成した図面を電子化するCAD係が設置され、多い時で合わせて10名ほどのスタッフを擁していました。それが、設計者自身による汎用CADツールの利用が進む一方、GISへの対応強化を図る中で地理情報課として再編。さらに、社内ICT管理のウェートが増してきたことから、現行の総務課内に情報係として設置。現在は担当者2名が前述の作業をこなしています。
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▲震災直後の同社屋根からの様子(左)と現在の様子(右)
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▲震災直後の本社社屋前道路(左)。社屋の津波到達地点には
「災害になんか負けない!」と社員一丸となったメッセージが(右)
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▲同社が作成した道路概略設計の3D・VRデータ |
震度6弱の激しい揺れは、2〜3分間続きました。当時、本社内では40名ほどの社員が仕事中でした。書棚から資料が落ちるなどしたものの、その時点では深刻な被害は見られませんでした。
その後、海岸寄りに自宅や実家のある数名の社員がそれぞれの家へ向かい、残る社員はしばらくして発令された津波警報に従って高台へと避難しました。
情報係係長の菊地光氏は海に近い自宅へ戻った一人。避難する車が渋滞を来しつつあった流れに抗し自宅へ辿り着くと、「大きな地震だったな」と言葉を交わしながら、一旦は家族と散乱した家財を片づけていました。海から近いとは言え、津波が来るかもしれないという危機感はほとんどありませんでした。それでも念のためと、車で避難している途中、背後から津波が接近してきているのに気づいたそうです。
また、設計課係長の佐藤章博氏は母親が住む海岸近くの実家へと急ぎましたが、家族は既に避難。誰もいない家には足の踏み場もないほどものが散乱していました。「結局、それが家の中を見た最後です」
一方、本社では一部社員が避難する前に隣接する河川を乗り越える格好で、津波が到達。想定外の事態に皆、社屋の2階や屋根に逃れました。結果的に、社員に人的被害はありませんでしたが、前述のお二人のように家を流出、あるいは家族に犠牲者がいた社員は複数に上ります。
津波は同河川を約5km遡上。併せて、同社の北約300mから海側にかけての一帯がほぼ水没。同社では、1階フロアの天井近くまで水に浸かったほか、現場に出掛けていた2台を除く社用車14台が流されました。
物理的な損失もさることながら、情報を扱う建設コンサルタントにとってデータが無事かどうかは極めて重要な問題です。1階に置かれていたパソコンが水没したことにより、ローカルフォルダ内に保存されたデータの復旧は一部を除き、断念せざるを得ませんでした。ただ、2階に設置したサーバ・ルームまでは水が至らず、基本的にデータはサーバに保存することになっていたことから、重要なデータはほとんど救出できたと言います。
「地震でサーバも何台かは倒れました」。しかし昨年7月、約10年間使ってきたサーバを入れ替えたことでそれにも耐え、幸いデータには問題がなかった、と菊地光氏は明かします。
地震後、本社社屋は電気も途絶えたため、生き残ったサーバは支店へ移して運用を継続。その後、1ヵ月ほどで水道が復旧したのに続き、ゴールデンウィーク前後には電気、5月中旬に光回線がそれぞれ回復。一方、1階工事も5月末までに完了、段階的に本社内に各部署を戻しつつ、6月中には震災前の体制で再開しています。
道路概略設計の説明にUC-win/Road導入 多様な構造物への展開に注目 |
地元住民あるいは発注者に対し、設計図面や設計の意図をいかに分かりやすく説明できるかと設計課において模索する過程で、情報係に3次元で景観を再現するデータの作成を依頼。同係では当初、別のソフトを使い対応したものの、それに要する時間やコスト面が問題になった、と佐藤章博氏は説明します。
「プレゼンする機会が増してきた反面、当時はまだそれ(3D・VRデータの作成)でお金になる仕事がなく、むしろそれをアピールポイントにして次のステップに繋がればと考えていました」
そこで3年ほど前、情報係を中心にさまざまなツールを比較検討。計算ソフトの利用で馴染みのあった当社のUC-win/Roadもその対象として着目。展示会やWebサイトを通じ実際に触れ、二、三ヵ月のうちにはUC-win/Road購入を決定しています。
「この製品を見てしまうと、その(再現性の)リアルさや(操作性の)単純さから他に検討の余地がありませんでした」。あとは社内の了解をいかに得るかだけだった、と情報係主任の大畑純氏は語ります。
UC-win/Roadを利用し、2008年度には大船渡市、次いで2009年度には岩手県、2010年度には再度、大船渡市向けの、それぞれ道路概略設計に関する説明用の3D・VRデータを作成しています。その際、佐藤章博氏が現況の地形や設計など必要なデータを準備し、設計意図を説明。情報係がそれを反映する、というように連携して取り組まれました。
そして例えば、一区間に2路線ある道路の概略設計の場合、各路線で異なる案を作り、さらにそれらの組み合わせで最終的に数種類の案をVR化。それを一人の担当者が1ヵ月ほどで作成しています。
その結果、住民や発注者への説明で明らかに良い反応や評価を得、作業も回数を重ねるごとに効率化するなど、これまでのところ狙い通りの成果に繋がっているとしています。
「平面上に交差点を設定し、そこに信号を置けば信号制御に従う交通の流れが生成されるなど、簡単にリアルなものが出来る点は素晴らしい」。とくにVR作成の担当者としては、フォーラムエイトのWebサイトから3Dのパーツをダウンロードし、それをアレンジすることで多様なモデルを容易に実現できる機能が非常に助かる、と大畑純氏は述べます。
同氏らは、道路以外の構造物へのUC-win/Road利用にも注目。今回震災前に取り組んだ道路概略設計の一環として、過去の氾濫時の水位を基に護岸の高さに応じた氾濫のシミュレーションも作成。こうした、ツールの機能を活用した多様な展開に今後力を入れていく考えです。
複数の拠点があるならば、データの保持やサーバの管理を一拠点に集約せず、各拠点でデータをバックアップ。例えば、日にちをずらしながら各拠点が全社のデータについて順次バックアップを取っていく
― 。
当然、そのためのコストは必要になる。しかし、想定外の事態でデータを消失してしまうリスクを考えれば、そういった対策も講じていく必要があるのでは、と今回の被災でまさにその危機に直面した経験から菊地光氏はこう述べます。
同社では、震災直後から水没した本社社屋の汚泥やがれきを除去、さらに本社機能の復旧を推進。その一方で連日、各地の災害調査や崩落現場の測量などの業務に対応しています。そうした中で菊地剛氏は、自分たちの仕事こそ復興に向けた社会基盤整備の第一歩との認識を説きます。
「残された者として何とかもう一度、この地域に元気を取り戻したいのです。そこに向かい、社員皆で力を合わせて始めていこうと思っています」
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▲株式会社 菊池技研コンサルタント社員の皆さん |
(取材/執筆●池野 隆) |
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