橋百選 |
BRIDGES 100 SELECTION |
|
|
現在の大橋は二代目。渡船に代わり、初代の木橋が架けられたのは1901(明治三十四)年。現橋は鉄骨で橋脚の上を頂点に緩やかにカーブする造形で全体の姿も良く、最上川によく映えていると言われている。周辺には塀蔵を模した修景護岸や再現された最上川舟運の舟役所跡大門がある。
|
親柱には塀蔵のミニ版を設置 |
|
|
|
最上川本流で初めて橋が明治8年(1875年)に架けられたのが明鏡橋である。昭和12年(1937年)に永久橋として県内初の鉄筋コンクリートアーチ橋が架けられた。交通量の増大と共に、幅員が5.5mと狭少ないために大型車が擦れ違えず、歩行者も危険な状態にあったことから、平成5年11月隣接して上流側に新・明鏡橋が完成した。旧・明鏡橋は、美しい形状を造り上げた当時の技術の高さを今に伝えている。平成18年(社)土木学会「選奨土木遺産」に認定。
|
|
上山四橋とは、上山市近代的な橋として明治初期に架けられた石橋の四橋を示す。江戸が東京になり、廃藩置県が行われ、上山藩は上山県となる。その後米沢藩や庄内藩との合併を経て、明治9年8月大山形県として発足した。初代県令(知事)を努めた鹿児島県出身の三島通庸は、道路の拡張やトンネルの開削、橋の架設など数多くの土木工事を行った。上山四橋と呼ばれる石橋もその三島通庸の遺品で、百年以上も風雪にさらされながらめがね橋と愛称され、親しまれている。「新町新橋」、「覗橋」、「堅磐橋」、「中山橋」は昭和52年に上山市指定文化遺産に認定された。また(社)土木学会「選奨土木遺産」に認定されている。
堅磐橋 (かきわばし)
|
橋長 ● 13.6m |
| |
幅員 ● 6.1m |
| |
アーチ高 ● 5.6m |
|
中山橋 (なかやまばし)
|
橋長 ● 11.3m |
| |
幅員 ● 6.7m |
| |
アーチ高 ● 4.35m |
|
|
新町新橋 (しんまちしんばし)
|
橋長 ● 14.7m |
| |
幅員 ● 4.4m |
| |
アーチ高 ● 4.4m |
|
覗橋 (のぞきばし)
|
橋長 ● 10.8m |
| |
幅員 ● 3.5m |
| |
アーチ高 ● 3.8m |
|
「新町新橋」と「覗橋」は、金山川を二度渡るところに架かる。新町新橋は、通称新町めがね橋、覗橋は下町めがね橋として親しまれていた。新橋は、明治13年の竣工、一方の覗橋は、新橋から遅れて2年後の明治15年に竣工している。石材は大門石という凝灰岩質が用いられている。
堅磐橋は二連の石造アーチ橋で、現在は使用されていない。川口のめがね橋と愛称され、親しまれている。中山橋は現在も立派な現役橋である。
|
度々の大雨や洪水で流失と架橋が繰り返えされ、より安全な橋の建設が検討され、流失の原因が橋脚にあるということから、橋脚のない刎橋が採用された。本橋は、県内で唯一の「日本百名橋」に登録されている。
|
|
|
|
最上川に架かる橋としては珍しい歩行者専用の竜神の吊り橋。水に親しむ空間をつくる最上川ウオーターフロント構想の一環として1993年に架けられた。橋の名前は、河島地区にある、竜神を祭る八大竜王神社に由来する。
|
|
最上川に架かる橋で、山形県道23号天童大江線が通る。山形県管理の橋の中では、3番目の長大橋となっている。支間割は58.2mであり、耐候性鋼材が使用されている。
|
|
|
|
龍王橋は、上山市出身の歌人「斎藤茂吉」が愛した古里に架かる二連アーチの橋から東側に目を向けると、雄大な蔵王連峰がそびえる。そのためか、橋の名称は「龍山」と「蔵王」にちなんで付けられたという。当時としては珍しい、巨大で優美な橋脚(川面から15mの高さ)の龍王橋は、多くの人の注目を集めた。
|
|
|
旧最上橋は美しい三連アーチが特徴。きれいな半円を描いていることから、地元では別名「太鼓橋」とも呼ばれている。橋がある一帯は、江戸時代に舟着き場として栄え、最上川の中でも一番川面が静かな場所といわれている。この付近には新旧二本の最上橋が架かる。2003年度には、社団法人土木学会から「選奨土木遺産」の認定を受ける。
|
|
|
|
>> 製品総合カタログ
>> プレミアム会員サービス
>> ファイナンシャルサポート
|