そのフィルムが撮影途中に不足し、コカコーラ社とタイプライターのオリベッティ社が援助を申し出てくれたのだが、当時の厳しいアマチュア規定のため、オリンピック関連事業が金銭を受け取ることはできず、援助はフィルムの現物支給となったという。
映画のなかで選手たちがコカコーラを飲むシーンがあったり、世界各国の新聞記者がタイプライターを打つシーンにオリベッティのマークが出てくるのは、「感謝のしるし」だと市川さんは語っていた。
そうして完成し、東京五輪の翌年の1965年3月に一般公開された映画は、日本国民の全員が見たとも言われ、12億円以上もの興行収入を記録した。が、当時の五輪担当大臣の河野一郎氏が、「記録性がない」と酷評。「芸術か記録か」という大論争に発展した。
しかし私は、市川監督の映画『東京オリンピック』は、映画史上最も素晴らしいスポーツ映画だと確信している。
実際この映画を、中学1年だった私が初めて映画館で見たときは、70ミリ大画面の迫力、色彩の美しさ、それに何よりスポーツマンの力強さ、清々しさ、美しさ、スポーツの素晴らしさに圧倒された。
たとえば100m走のスタート前には、緊張で引きつる選手の顔や、苛々と唇を震わせる選手の姿が超アップで映し出され、砲丸投げのシーンでは砲丸を自分のペットを可愛がるように、何度も何度も撫で回す選手の姿が映し出されている。
あるいは柔道無差別級で神永がヘーシンクに敗れた瞬間は、当時の新聞が「お家芸惨敗!日本中が涙」と報じたが、映画では清々しい笑顔で握手する神永の姿が捉えられている。それとは正反対に、日本の女子バレーボールが金メダルに輝いた瞬間は、大喜びする選手とは対照的に、大松監督の腑抜けたような放心状態の姿が映し出されている。
キラキラと湖面が美しく輝くカヌー競技や、選手が海に落ちそうになって荒波に揉まれるヨット競技、ユーモラスな競歩選手のお尻の動きや、美しい爽快感に満ちた自転車競技など、すべてのシーンにスポーツの素晴らしさが溢れ、そしてそれらがすべて総合されたところに「人類は4年に一度〈夢〉を見る」というオリンピックに対する市川監督の「思想」が浮かびあがってくるのだ。
その〈夢〉の実現のため、映画はクレーンで吊した巨大な鉄球で東京の古い建物を破壊するシーンから始まる。そして新しい都市が生まれるのだが、まだ残る雑踏やスモッグや交通の混乱など、映画には当時「汚穢都市」とまで呼ばれていた東京の汚れた一面も映されている。
一方聖火リレーのシーンでは、日本の緑豊かな棚田の風景や、京都の町家の美しい瓦屋根、白い雪をかぶった見事な富士山も……。しかし富士山の近くを聖火が走ったときは真夏。まだ雪はなかったはずでは? と市川さんに問うと、「僕は映画を創ったんだよ。富士山に雪がないのはオカシイだろ」と笑顔で言われた。
そんな市川さんが、映画『東京オリンピック』の撮影中、一番印象に残った出来事として話してくれたのが、サッカー会場の駒沢競技場でのエピソードだった。入場券を握り締めた10人くらいの和服姿のお婆さんがやってきて、市川監督にこう尋ねたというのだ。「ちょっとお訊きしますが、オリンピックは何処でやってるんでしょう?」
日本中がオリンピックに騒ぐなか、お婆さんたちも足を運んでみたが、男たちがボールを蹴っているだけ。このお婆さんたちの疑問に接した市川監督は、オリンピックとは何か? と改めて考え続け、映画『東京オリンピック』のラストシーンに辿り着いたという。「人類は4年に1度夢を見る。この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか」
新しいデジタル技術で撮られる映画(2021年公開)は、どんなものになるのか?「選手だけでなく、ボランティアの人々にも目を向けたい」と語った河瀬監督の作る作品は、当然のことながら市川作品とはまったく異なる新しいものになるだろう。が、市川作品のように、スポーツの素晴らしさを改めて教えてくれる作品になることを期待したい。
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