しかし―、ここでちょっと考えてみてほしい。そもそも「オリンピックを見る」とは、どういうことなのだろう?
私が思い出したのは1964年の東京オリンピックのときに、記録映画を撮影していた市川崑監督が話してくれた逸話だった(これは本欄の第5回に書いたのですが、再度簡単に紹介します)。
駒沢競技場で市川監督がスタッフと一緒にサッカー競技を撮影していたときのこと。和服姿の妙齢のご婦人方が10名あまり、手に日の丸の描かれたチケットを握り締め、ぞろぞろぞろと市川監督の傍までやって来て、こう言った。「オリンピックは何処でやっているのですか?」
世間が大騒ぎしているオリンピックというものを一目見ようと「オリンピックを見に来た」ところが、目の前では男たちが泥にまみれてボールを蹴っているだけ。
これをきっかけに市川監督は「オリンピックとは何か?」ということを深く考え始めたそうだが、はたして妙齢のご婦人方は、「オリンピックを見る」ことができたのか?
もう一つ。面白いエピソードを紹介しよう。それは2002年の日韓ワールドカップ・サッカーでのことだ。私はそのとき、仕事でサッカーの試合を何試合か見ることができたのだが、面白かったのは、まず札幌ドームで見たイングランドvsアルゼンチンの試合だった。とはいえ前回のフランス大会でイングランドのベッカム選手がアルゼンチン選手の少々狡猾とも言えるプレイからレッドカード(一発退場)となり、試合は結局PK戦でアルゼンチンの勝利。札幌での試合は、その因縁の勝負のあとのベッカムの復讐戦となったのだが……そんなことより、私にとって面白かったのは、イングランドからやって来た大勢のサポーターたちだった。
彼らは誰もが驚くほどの大男揃いで、フーリガンと呼ばれるほど暴れまくったわけではなかったが、試合開始前から呆れるほど何杯ものビールを飲んでいた。しかも札幌ドームの小さな座席に座ることができず(彼らのデカイ尻は、日本製の小さな椅子の肘置きと肘置きの間入らず)、ずっと立ったまま観戦していた。
なかにはグイと尻を押し込んで椅子に座った大男もいたのだが、今度は尻を椅子から抜くことができず、膝が前の座席に支えて前方へ動くこともできず、ハーフタイムの間中大騒ぎとなった。そのとき私は、サッカー好きの(労働者階級の)イギリス人のビールを飲む量の桁違いの多さと、身体のデカさと、尻とビール腹のバカデカさと、咆吼のような大声と、底抜けの陽気さ……に、自分の知らなかったイギリス人像を発見したのだった。
W杯サッカーでの話を、もう一つ。横浜総合競技場(現・日産スタジアム)で行われたドイツvsブラジルの決勝戦の日、試合前はJR新横浜の駅からスタジアムまでの舗道にサッカー関係のグッズを道端に並べて売る店が連なり、客引きのポルトガル語やドイツ語や、英語や何語かわからない外国語が大声で飛び交っていた。その日がW杯の最終日。品物を売り切りたい外国人たちは、必死に愛想を振りまいていた。
そんな雰囲気のなか、試合前に食事を済ませておきたかった私は、小さなうどん屋へ入った。すると店内はブラジル人で満員。おまけに店の人と何やら揉めていた。そこで事情を聞いてみて、私は思わず(店の人には申し訳ないが)噴き出してしまった。ブラジル人達は「前菜の饂飩は食べたので主食を待ってる」と言うのだ。私が、この店ではヌードルがメインディッシュだと言うと「それでは値段が高すぎる」。
そのあとどうなったか、昼飯抜きで決勝戦を見ることにした私は知らない。が、2対0でブラジルが勝利した試合結果以上に、路上の物売りの様子やうどん屋での出来事のほうが、私にとっては世界大会として強く印象に残った。
そう言えば仕事抜きで長野オリンピックへ子供連れで足を運んだ時は、スケート会場で入場券が手に入らず、近寄ってきた黒人とチケット購入の交渉を始めたところが、思わぬ安値で交渉が成立。ところがいざチケットを買おうとしたら相手の黒人(青森の三沢基地からやって来た米軍人だった)も、ズボンのポケットから財布を取り出し、お互いに大笑い。どっちも相手がダフ屋だと思っていたのだ……。
はたして来年の東京オリンピック・パラリンピックは、どのような大会になるのか?(チケットは購入した個人の登録情報入りで、ダフ屋は不可能ですね)。
私は、おそらく猛暑となるに違いない太陽の下で、東京という街をぶらぶら歩いてみるつもりだ。そうすれば、きっと「2020年東京オリンピックを見る」ことができる、と確信している。スポーツの試合はテレビで見れば十分だから。
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