セメンヤ選手の場合は(海外の報道によれば)両性具有の可能性が高く、睾丸が存在しないので女性として育てられたが、子宮と卵巣も存在せず、体内には精巣が存在し、テストステロン(筋肉増強剤として体外からの摂取がドーピングとして禁じられている男性ホルモン)を、通常の女性の3倍量分泌していることがわかったという。
そこでIAAFは、彼女を排除するのも人権上不適切と判断し、女子中距離種目(400m〜1マイル走)に限ってテストステロン分泌量の上限を定め、超過している選手は女性ホルモン等の薬剤を用いてテストステロンの分泌量を規定内まで下げないと、女子の公式競技への出場は認めないことに決定した。
それに対してセメンヤ選手は、自分の生まれつきの身体を薬で制御するのはドーピング行為にほかならないとして、CAS(スポーツ仲裁裁判所)に提訴。今年5月1日に下された裁定は、「IAAFの規定は差別的だが、競技の公平性を守るには必要」というものだった。
はたしてスポーツが、少数者を「差別」してもいいのか? 国連の人権理事会も「スポーツ組織は女子選手の身体に対して、不必要な医療行為を強いてはならない」という文書をIAAF会長宛に送った。
セメンヤ選手以外にも「女性ではない」と指摘された五輪選手も何人かいて、この問題は未来のスポーツのルール(あり方)を考えるうえで極めて重要な問題と言える。ひょっとして将来的には、パラリンピックが障害の程度で出場者を区別しているように、またレスリングなどの格闘技が体重制を取っているように、多くのスポーツも、ホルモンの分泌量による「分類」がなされるようになるかも?
もうひとつの大事件は、5月22日にIOC(国際オリンピック委員会)が、来年の東京大会でのボクシングの実施継続を決定したこと。
オリンピックのボクシング競技は1904年第3回セントルイス大会以来(12年第5回ストックホルム大会を除き)行われ続けてきた伝統ある競技だ。が、昨今は多くの問題が噴出。
レフェリーの「買収事件」「疑惑の判定」など日本のアマ・ボクシング界でも問題になった事件がオリンピックでも相次いで起きた。またAIBA(国際ボクシング協会)内部の金銭疑惑やガバナンス(組織統治)に透明性がないこと、会長がアメリカ財務省から「麻薬売買に関わる犯罪者」と指摘されるなど……で、東京五輪の組織委も、会場を両国国技館に決定はしたが、除外される可能性もあるとして、スケジュールは決めないでいた(昨年ワイドショーを賑わした日本ボクシング連盟の山根明会長=当時も、東京大会ではボクシングが中止されることを示唆する発言をしていた)。
が、IOCはAIBAの競技団体としての資格を停止したまま、選手を救済する措置として競技の実施を決定。各地域の予選はIOCが独自に行うと発表したのだ。 しかし、ボクシングの未来はけっして明るいものではない。
プロとアマチュアの垣根がなくなっているスポーツ界にあって、プロ・ボクシングの世界は、以前からマフィアなどの反社会勢力が牛耳っていたという歴史もある。また1964年の東京オリンピックでも、記録映画を創るときに、「平和の祭典のオリンピックで、なぜ出血するほど暴力的な格闘技が行われるのか」との声があがり、市川崑監督はボクシングの場面をカラーではなくモノクロにした。
ボクシングの世界的人気は根強いが、オリンピックには「暴力的過ぎる」という声も高い(IOCのバッハ会長も個人的にはボクシング否定論者だという)。
かつてプロのヘビー級チャンピオンとして49勝無敗(43KO)という不滅の大記録を残して引退たロッキー・マルシアーノ(映画『ロッキー』のモデル)も次のような言葉を残した。
《そのとき(ボクシングが禁止されるとき)は来るだろうね!必ず来るだろう―半世紀か四半世紀後―いやそれよりも近い将来に―必ず来るだろう(略)。人びとがさらに文明化されていくと、ボクシングは禁止されるはずだ。(略)いまから100年後、私たちはグラディエーター(註:古代ローマの剣闘士)のような存在になっているはずだ。歴史上の人物にね》(マイク・スタントン『無敗の王者
評伝ロッキー・マルシアーノ』早川書房より)
このロッキーのの発言から、既に50年以上が経ったのだが……。
男女の区別が判然としなくなったスポーツ界や、未来の見えないボクシング界……。それらが、どのような未来を描くことができるのか? それを考えることこそ(テレビでは取りあげられない)現代のスポーツの最大テーマと言えそうだ。
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